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愛知県の主婦の日常雑記

ロマンスカーEXEα

f:id:machik:20170325234936j:plain 昨晩無事に実家に着き、今朝は8時に小3息子と出発して小田急ロマンスカーに乗りに行った。
 小田急新宿駅の地上ホームでもう興奮する息子。購入済のロマンスカーチケットを見て番線を確認する。空色に輝くMSEが入ってくる。大喜び。顔、客車内、連結部、足まわりと順繰りに確認していく。「おかあさん、中もすてきだよ!」嬉しそうだ。清掃の人が入っていって、いっせいにシートが進行方向に回転し始めた。「すごい!」私も初めて見た、興奮した。柱の大型LED掲示板がわかりやすい。遠くでは通勤車両が往来している。ワイドドアの車体を目敏く見付ける息子。反対車線に入っていたEXEが出て行き、乗車するEXEαが入ってくる。また「すごい!!」銀色に光る車体。息子は電車を見分ける能力がすごいので、どこがどう違うのかをまくしたててくれる。漸くの乗車。新しい匂いがプンプンする。広い座席。いやーこれほんとうに410円の追加料金(相模大野まで)でいいの?と思わせる特急っぷり。「おかあさん、ぼくこの電車好きだよ!新しくてレトロで近代的!」電車への感想を持てる小3息子はすごいなあ、と思った。私は記憶は何かに寄せる癖があるので、見たものを見たまま記憶することができない。自分の興味が集中するものでない時はなおさらである。電車の顔は電車の顔だ。でも息子にとっては全て違う。違う種別、違う個体、全部に意味があるみたいだ。それを見分け、感想を持つことができるって、自分の息子ではあるが、自分とは違う人間だなあとほんとうに思って、うれしいのである。

外国人

 新幹線の車内でのこと。楽しく喋る白人二人が後ろの後ろの席に座っていた。たぶんアメリカ人。
 名古屋から乗って、新横浜が近づいてきたときにそのうちの一人が立って周りの人に話しかけていた。英語喋る人いる?と訊いて回っている。私はあまり喋れないが、勉強はしたので相互理解くらいはできる。話を聞いた。
 この電車は品川行く?うん、行くよ。今停まる駅?ううん、そのつぎ。
 そんな会話とも言えない疎通をして終った。私たちも品川で降りるので身支度をし、デッキで待機してるときに一緒になった。右のドアが開くってアナウンスが流れたが日本語オンリー。ちょいちょいって触って、ドアこっち、と身ぶりで示してあげた。
 間があったのでもうちょっと会話をしたかった。向こうもそんな感じだった。でも何を話すと言うんだろ。どちらからおいでですか?日本は仕事でですか?どれくらい滞在しますか?そんなこと訊きたい訳じゃないしな。と言うより何より、聞き取ることはできても、言葉が出て来ないのだ。
 やっぱ留学はすべきだなー、と思う。知識を仕入れた上で行けば、半年くらいでも喋れるようになるだろう。みっちり勉強してから実地で鍛える、それが英語喋れるようになる最短&最安コースだろうと思う。
 しかしね、英語喋れるようになって何を喋るのだろう、と考えると多少滑稽な気もするのである。だって日本人とすらまともな会話しないのにだぜ?こんなに日本語が使えるのに(笑)何を喋るかではなく、何を伝えたいかなんだよなあと思うのである。

帰省

 帰省を控えている。実家の東京に帰るのである。
 いつも「故郷」という言葉に違和感を覚えている。ふるさとって田舎なんだよね?生憎、現在住んでいる場所の方が実家よりずっと田舎だよ。水は清きふるさと、って言うけどドブ川と金町浄水場の水だよ、木曽川の清き流れにはハナっから負けてるよ。
 東京に土着の一族で帰るべき田舎を持たずに育ったこともあるだろうが、未だに帰省という言葉に馴染めない。クラスメイトが田舎へ帰ってしまうお盆も正月も、ずっと東京にいた。店が閉まってしまうので食料品の買い貯めが必須だった。暮れには母が、段ボール1箱に山盛りの野菜を買い置きしていた。
 東京は、帰るたびに空が狭くなっている気がする。人口減少なのにどういうことなのかね。
 それでも「ふるさと」。狭い道、溢れる人を邪魔そうにしてゆっくり走る車、駐車場がなく道に面して建つ小さな家々、経年で汚ならしくなったコンクリート、全てが自分にしっくり来る。まあ、今年も帰りましょうかね。

Androidは電子辞書の夢を見るか?

 中3息子の高校説明会に行った。疲れた。40冊弱の教科書類持って電車に乗るのだ。キャリーバッグなかったら死んでた。教科書はともかく、副読本類がモダンで時代を感じる。辞書はほとんどの学生が電子辞書らしい。私は紙の辞書原理主義なので絶対嫌!と思ったが、学校に重い辞書置いとけるスペースがあるかなんだよね。どうやら鍵なしの棚しかないみたいだから。
 辞書は授業中暇な時に、勉強のふりして読み込めるからいい。知らない言葉との出会いがあっていい。電子辞書はよく知らないが、狙った言葉をピンポイントでひくものでしょ?だったらケータイでいいじゃない。ネットをソースにした勉強が、近視眼的になりがちなのと一緒だよ?
 とか思うんだが郷に入れば郷に従え、とも思うしでも、いちばん嫌なのは電子辞書がお高いこと。とりあえず少し調べてみるわー

人の顔と名前が覚えられない

 昔っからそう。同級生がわからないことに始まり、最近のママ友付き合い(ってほど濃いものはない)も、子供3人のうちの誰の知り合いかよくわからなくなってしまう。どっかで出会って「こんなところでー!」と挨拶するも誰なのか思い出せない。何ヶ月経っても思い出せないままである。
 たぶん、他人にあんまり関心がないんだと思う。何年かしたら通り過ぎる人だしなー、という人生観が確かにある。人を嫌いになることがそうそうないのが利点だ。しかし、付き合いが深まって来たのに名前がうろ覚え、という事態がよく起こってそのたび、自分の失礼さを反省する羽目になる。
 私は人の顔を覚えようとする時、「○○似」と既に知っている人の顔に寄せる癖がある。だから次にその人の顔を再生しようとしたとき、その○○さんの顔になってしまうのだ。人の顔を覚えるのは得意、という人が不思議でならない。何にも寄せず、見たままをどうして記憶できるのか。自分とは記憶のシステム自体が違っているにちがいない。
 電話番号だったら覚えられるんだけどなー。嗚呼 

Face to Face

Face to Face

ゴッホとゴーギャン展に行って来ました

 愛知県美術館で開催中の、ゴッホゴーギャン展に行って来ました。

 話には聞いてたけど入場まで並んだ。でも20分弱で入れた。中もそこまですし詰めじゃなかった。少なくとも、休日の科博の恐竜展の時ほどじゃなく、充分観れました。
 イヤホンガイド借りた。ええ、あの小野Dと杉田智和の、腐女子ホイホイのイヤホンガイドですよ。私美術館でイヤホンガイド借りるのって初めてだったんですが、主要な絵にガイドが入るだけで、巡回スピードは妨げない造りになってるんですね。思ったより邪魔にならず楽しめました。
 気に入ったのはゴッホ『収穫』、ゴーギャン『マルティニク島の風景』。ゴーギャンは考えながら描いてるけど、ゴッホはわりかし本能的に生命力ある絵を描く、という印象を受けた。でも『収穫』は本人の自信作だけあって、抑制のある筆致に生命力が「押し込められず」大成功していると思った。奇跡のバランスで好き。
 しかしね、イヤホンガイド聴きながら見終わって思ったけど、ゴッホゴーギャンって実際そんな印象的な関係だったんですかね。いくら「耳切り事件」で終わったって言っても共同生活たった2ヶ月じゃないですか。一般的に知られてないだけで他にも似たようなケースあるんじゃないの?ヒムケンとバカリズムが同居してたみたいなさ、本当にないの?
 展示の最後、ゴーギャン作『肘掛け椅子のひまわり』。ゴッホの『ゴーギャンの椅子』、その他エピソードを踏まえた上で見ると本当にじんと来る。ふたつとも本当にいい作品。椅子の中には大事な人がいる。(語弊はあるが、好き嫌いを超越して、自分にとって意味がある人を大事と言うのは外れてないんじゃないか?)そういう思いを感じさせる作品が遺っているというだけで、やはりこの関係には意味があったのだろうと思う。でもね、なんか強調し過ぎじゃね?
 と思ったところで気が付く、これは「関係性萌え」そのものなのかもしれない。クールジャパンを牽引する(笑)BLの黄金法則。だったらイヤホンガイドも声優でしかあり得ない。「関係性萌え」を薄く引き延ばしてエッセンスとして投入すると、多数の人間にフックのあるコンテンツとなる。今回はこんな図式を見た気がしました。f:id:machik:20170319235402j:plain