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愛知県の主婦の日常雑記

土井武夫展

各務原航空宇宙博物館、企画展「土井武夫展」を駆け込みで見て来ました。

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土井武夫とは戦闘機「飛燕」の設計者。
ジブリ風立ちぬ』に出て来た「土井くん」。
今回はパネル展で、その生涯と功績を振り返ります。


1904年、ライトフライヤーの初飛行の翌年、山形市に生まれた土井。
10人兄弟の7番目、幼い頃に父親が急逝、家計を助けながら帝大進学。

7人の航空学科同級生と切磋琢磨。
堀越などが次々に就職を決めていく中、土井は教授の紹介で川崎重工に拾ってもらい、帝大の同期が70〜100円の月給を貰っている中、半額にも満たない境遇の整備工から始める。

つまり土井は就活あぶれ組だったんですね〜

川重で設計の職を得、飛燕を開発、空冷エンジンが主力だった時代に液冷エンジンを積んだ飛燕はそのスピードと旋回性能で日本空軍の主力となり、3000機を生産。飛燕は本土防衛、南方戦線に活躍。

戦後日本は航空機開発をGHQによって禁じられ、土井は解雇される。苦難の日々。
職安で英字新聞読んでたら「英語が読める奴がこんなところ来るんじゃねえ」と揶揄されたことも。

やがて航空機業界に復帰、YS-11の開発などに携わり、名古屋大学名城大学で教鞭を取り、96年逝去。
今回一番心に残ったのが名城大学時代の話。

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「1973年、まだ学生運動の激しかった時代、学生部長就任半年で土井は学生のマイカー通学の全面禁止を決めてしまう」


鬼の学生部長!!こええ!!!(笑)