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愛知県の主婦の日常雑記

『日本の異界 名古屋』を読む前に

 今から『日本の異界 名古屋』を読むのであるが、清水義範という大正義に影響される前に、現在まとまっている自分の名古屋(というか愛知県始めとする東海圏)に対する考えを記しておきたいと思う。読むときっと忘れちゃうから。嫌われちゃうようなこと書くかもしれないけど。

 リニア開通を前にして名古屋は浮き足立っており、高層ビルをバンバン立てては名古屋初の店舗が入った、とか騒いで街を盛り上げている。観光アンケートの「行きたくない街・一位」に選ばれてしまい、嘆く人と受け入れる人とで色々言っているが、私の見解は、「名古屋は変わる必要はない」である。
 名古屋は好きだ。私は東京生まれの東京育ちだが、名古屋の人の堅実で合理的な県民性はほんとに素晴らしいと思う。見栄っ張りだから見栄に金を使うんだ、とよく言われるが、それによって地域で良い結果を出すのであれば全く的を射た投資であり、合理的極まりない。ただ、少々退屈であることは否めない。
 東海圏にある歴史も好きだ。古墳はあるはお城はあるは、近代産業化遺産もあり、重層的な深みのある連なりを為している。岡崎に行った時、道端にあって顧みられてない草ぼうぼうの塚が、義経所縁のものであったことにたまげた。なんて勿体ないことか。
 地名も面白い。寺社数が日本一で、人と土地の管理がしっかりしているのだ。ヤマトタケル由来の地名が名鉄の駅名に残っていたりする。そして信心深い。人の移動も比較的少ないのだろう、民間信仰がしっかり伝わっている。すんごく面白い。寺社と塚巡ってるだけで一日経つ。飽きない。
 2ちゃんのまとめで見たのかなあ、「名古屋は100%のものはないが、80%のものなら何でもある」って意見。全く同意、住みやすい。何でも100%である必要はない。流行の最先端の店とか興味ないし、愛知に常駐してなくていい。
 
 名古屋の価値観は極めて合理的だ。しかし、合理的過ぎてつまらないことがあるのが難点だ。
 名古屋の興業は客が入らない、と良く言われる。実際それが「名古屋飛ばし」の原因であるらしい。少し臆病なところがあって、面白いと評判なら観に行くんだそうだ(興業系ブログの記載に依る)。合理的っちゃ合理的。しかし、初見何だかわからないものに触れてびっくりするのが文化の醍醐味ではないのか?
 名古屋は地元指向が高いことでも知られる。住環境が良く、敢えて出ていく理由がないから仕方ない。そして県外から「名古屋は閉鎖的だ」と言われるようになる。確かにここでしか通じない価値観や序列、文化的物差しがあり、外部からの刺激に揺るがず磐石だ。
 外部からの刺激に揺るがないことと、何だかわからない外部からのものに触れないことは矛盾しない。つまり、新しいものに触れないことで名古屋は成り立っているのだ。
 勿論極論であり、新しいものを無闇やたらに取り入れない美点がある、と言い換えることはできる。実際名古屋が新しいものを取り入れる時は極めて慎重に、名古屋に合うやり方を開発して取り入れるだろう。でも、この極論はあながち間違っていないと思っている。
 極めて合理的な、モノ・カネ・ヒトに裏打ちされた完成された文化圏だから、旅行客が来ない、とか嘆く必要もない。名古屋を変えてまで外の人に来てもらう必要はないんだ。だって、名古屋は完結できるんだから。

 もし名古屋が揺らぐことがあったら、それは磐石とされたものが磐石ではなくなる時だろう。具体的にはカネがなくなる時だ。自治体、トヨタ、個人の金融資産のいずれかが危機に陥った時名古屋は揺らぐだろう。でも、濃尾平野が食糧まで担保しているので、おそらく東京が瀕するほどの危機には至らないはずだ。ほんと強いよ。強いなー。


 
 
スギテツ好き 

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