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愛知県の主婦の日常雑記

ゴッホとゴーギャン展に行って来ました

 愛知県美術館で開催中の、ゴッホゴーギャン展に行って来ました。

 話には聞いてたけど入場まで並んだ。でも20分弱で入れた。中もそこまですし詰めじゃなかった。少なくとも、休日の科博の恐竜展の時ほどじゃなく、充分観れました。
 イヤホンガイド借りた。ええ、あの小野Dと杉田智和の、腐女子ホイホイのイヤホンガイドですよ。私美術館でイヤホンガイド借りるのって初めてだったんですが、主要な絵にガイドが入るだけで、巡回スピードは妨げない造りになってるんですね。思ったより邪魔にならず楽しめました。
 気に入ったのはゴッホ『収穫』、ゴーギャン『マルティニク島の風景』。ゴーギャンは考えながら描いてるけど、ゴッホはわりかし本能的に生命力ある絵を描く、という印象を受けた。でも『収穫』は本人の自信作だけあって、抑制のある筆致に生命力が「押し込められず」大成功していると思った。奇跡のバランスで好き。
 しかしね、イヤホンガイド聴きながら見終わって思ったけど、ゴッホゴーギャンって実際そんな印象的な関係だったんですかね。いくら「耳切り事件」で終わったって言っても共同生活たった2ヶ月じゃないですか。一般的に知られてないだけで他にも似たようなケースあるんじゃないの?ヒムケンとバカリズムが同居してたみたいなさ、本当にないの?
 展示の最後、ゴーギャン作『肘掛け椅子のひまわり』。ゴッホの『ゴーギャンの椅子』、その他エピソードを踏まえた上で見ると本当にじんと来る。ふたつとも本当にいい作品。椅子の中には大事な人がいる。(語弊はあるが、好き嫌いを超越して、自分にとって意味がある人を大事と言うのは外れてないんじゃないか?)そういう思いを感じさせる作品が遺っているというだけで、やはりこの関係には意味があったのだろうと思う。でもね、なんか強調し過ぎじゃね?
 と思ったところで気が付く、これは「関係性萌え」そのものなのかもしれない。クールジャパンを牽引する(笑)BLの黄金法則。だったらイヤホンガイドも声優でしかあり得ない。「関係性萌え」を薄く引き延ばしてエッセンスとして投入すると、多数の人間にフックのあるコンテンツとなる。今回はこんな図式を見た気がしました。f:id:machik:20170319235402j:plain