読書録
エピファニー。その言葉が知りたかった。
神聖なもの、聖なるものが出現すること、宗教体験。それを指してエリアーデはエピファニーと呼んだ。それこそが宗教の根本にあるもので、他でできない、生涯に一度になるかもしれない経験のこと。現代日本で自覚を持って特定の宗
- 作者: 島田裕巳
- 出版社/メーカー: 牧野出版
- 発売日: 2016/03/11
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ではそれ以外のいわゆるふつうの日本人はエピファニーを経験しない無神論者なのか、というと違う。まず日本で言う無神論者は、欧米のようなまったくの「無神論」者ではない。初詣、お盆なんかの生活習慣に根差した宗教心がちゃんとある。それを自覚していないだけだ。
そしてエピファニーは、むしろ生活に溢れている。イタコや占い、神降ろしなど、日本では異端を審問する宗教機関がないので発達しているという。確かにキリスト教圏でキリスト教以外の奇跡体験って聞いたことないな。
エピファニーを経験すると自分が変わる。通過儀礼もまたエピファニーであるという。
そう考えれば、宗教にハマっちゃった人を「洗脳されてる」と言うのは間違いだな。エピファニーを経て「自分で考えて、選び取った」人は考えを変えない。これはマインドコントロールや、メンタリズムと同じ範疇の話なのでしょう。