青少年世界発明工夫展に行って来ました
世界発明工夫展ではバンバン英語を使った。4月から市の英会話教室に週一で通っているので久し振りじゃないが、実戦はあまりないことである。しかも相手はアジア圏が主体。英会話講師のようなキレイな発音の英語ではない。
私は英語は勉強はしたがすらすらは喋れない。居住経験も留学経験もない普通の日本人だ。だから英語を喋ろうとすると、どうしてもセンテンスをつくってから喋ろうという癖が出る。
でも相手はそんなこと望んでないよなあ、と今回痛感したのだ。
外国の人とコミュニケーションを取る時、言葉が上手く通じないのはお互い折り込み済み。だから反応が大事だった。特に今回相手は子供だ。
英語のテンポは早いし、すぐに反応を見せると相手も喜ぶ。はっきりしない態度をしてると戸惑ってる。表情だけでも、日本語でもいい、何かを返すこと。
コミュニケーションの本質はレスポンスなんだと思う。そうこうしてるうちにこっちの口も回って来て、よりスムーズになれた。
あと、これは私だけかもしれないけど、向こうの反応を気にしなくていい気持ちに何故かなれて楽だった。日本だと異論を言うのに気を遣うけど、外国の人相手に英語だとそれはそれ!という気持ちになるのだ。私は私、あなたはあなた!何か文句ある?というような。なんなんだろあれ。ただ単に言葉のディテールがわからず、繊細な問題が成立しないってだけかな。不思議だ。
楽園の音楽
ハワイアンが好きだ。一番楽園に近い音楽だと思っている。人から全てのやる気を削ぐ素晴らしい音楽である。
青い空、青い海、気怠い午後。泳いだ後の身体を横たえて聞く甘い花のような匂い立つ音楽。風は心地好く、シーツは真っさら。最高。
争い事をしていても腰砕けになっちゃうんじゃないかな。それぐらいのパワーがある恐ろしい音楽だと思っています。
言えないことは書いちゃ駄目かな
旦那と息子とインターネットに於ける発信の話をしていた時旦那が言った。「その人に言えない話は、人として書いちゃいけないよ」。
その話がちょっとぐさっと来た。だって私人に言えないことばっか書いてるだろうから。
勿論彼の発言の真意がそこにないことはわかってる。他人の陰口になるようなこととか、書いちゃいけないよということだ。それはネットとか関係なくマナーだろう。私もそんな話とか、してないつもり、だが、他人に冷たそうって評価をいきなりする人についての記事(http://machik.hatenablog.com/entry/2017/04/29/235824)とか、陰口になってない?あれ?わかんなくなっちゃったよ。
思い起こせば小さい頃から引っ込み思案だった。思ったことがすんなり口に出せなくて、意見を表明することを苦手にしてきた気がする。だからなのか、書くのはいくらでも書けた。作文用紙を何回もお代わりして長い作文を書いた。高校の時は小論文を得意としていた。
高校の時分は友達にも恵まれていた。一番仲が良かった友達には思ったことをポンポン投げ付け、仲間内ではツッコミの達人と言われたこともあった。しかしその友人は離れた。お互い大学に入ってから疎遠になり、今では音信不通である。他にも原因はたくさんあった。私の態度だけがそれとも思えない。でも彼女が離れたことは、私の失敗体験となっている気がする。
こんなことを臆面もなく書いているのは、書くとわかるからである。
自分のことが。
それを人様に発信しても恥ずかしくない。
むしろ、自分はこんな人間なんだよ、と知ってもらいたい。
いい年齢をして中二病か。
だからもしこのブログが廻り廻って、私が書いた彼女の目に触れることがあったとしても、別に恥ずかしくない。
そういう意味では、「その人に言えない話」ではない。
でも彼女からしたらどうだろう。その時は何の表明もしないで、後からブログなんて手段で吊るし上げる私を、姑息と思うだろうか。思うだろうな。
後で書く、くらいなら、その場で言った方がいいのか。
でもその場だと、言葉が出て来ないんだよ。
いかに上手な言い回しで違和感を表明するか、とか、出来ないんだよ。それ以前にそこまでして知らせてあげるべきなのか、私の意見は?とも思ってしまうんだよ。だって彼女は彼女の人生観でそう言ってるんだから。他人の人生観に違和感を抱きつつも、態度では流して日々を生きていく、なんてことは普通のことでしょう?
そう考えるとやっぱり書かない方がいいのかなー、とも思う。
でも書きたいんだよな。
困る。
(ただのコミュ症じゃね?)
↓
under the same sky
Radio Gardenというwebページがある。世界中のネットラジオを聞けるサイトで、ページを開くとゆっくり回る地球が映り、点在するラジオ局をクリックして聞く仕組みになっている。今日、すごく久し振りに開いてみた。
モスクワのラジオ局。なんかポップスかかってる。ウラジオストク。ジングルが「ウラジオストーク♪」とか言ってる。
ハワイではレゲエが、トルコでは民族音楽がかかってる。ケニヤも英語のポップスだった。でもDJは知らない言葉だった。ジングルは英語なのに。
ベネズエラ、JOURNEYがかかってる!ベネズエラの人もJOURNEY好きなのか。そしてJOURNEYはこうやって世界中で曲がかかる度に著作権料得てるのか。
ベネズエラのDJはスペイン語。スペイン語は歌ってるみたいで好き。じゃあポルトガル語はどうだろう、とブラジル行ってみるとまた違う。方言くらいにしか違わない、ってキャプテン翼かオフサイドの中で言ってなかったっけ?ポルトガル語の方が抑揚が少なく淡々とした感じ。
ドイツ・ハノーファー、DEEP PURPLEがかかってる!デンマークはABBAだ!えっ、なんか嬉しい!
一番嬉しかったのはここ。世界のラジオを興味本位に聞いてみて、知ってる曲が3曲もかかってる。なんかね、音楽が好きでよかったと感じた。世界の人が一気に身近になった気がした。友人のソプラノ歌手は「楽譜は全世界で通じる言葉だ」と言ってたが、そんな感じだ。
そしてこの経験はなんか力をくれた。自分の全然預かり知らぬ場所の人たちも、自分と同じ音楽聴いて日々を生きてるって、嬉しい。
Radio Gardenはこちら
http://radio.garden
かかっていたJOURNEYはこれ
東海地方における中学受験について
暫く書くのをお休みしていた。元々「心の口が悪い」方なのだが、最近自分の中でそれが先鋭化してしまい、何を書くにも悪口になってしまいそうで、そんなことわざわざ時間を割いてまで書くことじゃないんじゃないか、発信することないんじゃないかとちょっと考えていたのだ。でも書いた方がすっきりするから、やっぱり書く。
じゃあ今日の悪口は東海圏に於ける私立中学受験について(笑)。一言で言うと、反対派だ。確固たる理由がある。
まず大前提として、東海圏には大学が少ない。
小前提として、お金には限りがある。
結論として、中学からお金を遣う必要はない。
大前提を細かく見ると、地域トップの名古屋大学の下は国立の岐阜大・三重大、私立の南山・名城になってしまう。私立の早慶上理、GMARCHランクがごっそりない。このクラスの子は学歴をゲットしに外に出るべきだと思う。だが
小前提、お金は有限。中学から私立の学費を払い続け、大学の下宿も問題ない余裕ある家庭はここで除外できる。しかし最近はそんな家は少ない。実際私の知り合いで子どもを私立中に行かせているご家庭のお母さんは皆、大学で外にやる余裕はないとおっしゃっている。余裕がなくとも外に出して、生活が不安になるのも避けたいところだろう。
だから結論、やるべきじゃないと思うのである。
私立中の受験をやるか決めるのは小3のときだ。そんな何もわからない時分に、子どもの将来が親に勝手に決定されている。それは望ましくない、と私は思う。幸いにして昔ほどの問題中学は減っているし、このへんの公立高校は大学入試強いしね。
しかし、愛知県の特殊事情、「地元志向」はこの論法をあっさりと逸脱する。それぞれの項における反証はこんな感じだ。
大前提、名大の他に名市大や名工大も優秀だし、南山名城も名門だから問題ない、という価値観。確かにそうなのだが地元でしか通じない。
小前提、お金は有限、だから余計に外には出せない。何故なら、東海圏で生きていくなら、東海圏の名門大学で問題ないからだ。
しかして結論、東海圏で生きていくことは最初から決まっているんだから、中学からお金をかけてあげても問題ない。むしろ名門中学は横の繋がりが強いからプラスになる、東海圏で生きていくにはね、ということです。
この論法に於いては、前提と結論が転倒しているのではないか。言ってみれば、
大前提、東海圏で生きていく。
小前提、地元の大学で問題ない。
結論、私立中学に入れましょう。
という論法が大勢を占めているように見えるんだ。
なんと言うか、
地元志向スゲェ~。
(いろいろ言うけど、問題なのはお前=あたし自身だよ!!)↓
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で、読んだ。中2娘は「怖かったよ!」と絶賛していて、結果、怖かった。まあ同じミステリーランドの神様ゲーム(麻耶雄嵩)の方が怖かったけど、殊能センセーの怖さはまた別。
ヒーローの元ネタがワーグナーのオペラだったりするところは変わらず殊能節。
主人公の将来が心配。
あとがき「わたしが子どもだったころ」が沁みる。子供を持つことがなかった殊能が子供の為に書いた文章。自らの子供時代を見返し、いつものようにフラットに書こうとしつつも、隠し切れない郷愁や愛惜が滲んだ噛み砕かれた文章は、殊能にしては珍しく湿っているように思えた。それは本編にも言えることで、やはり子供向けだからだろうか、ふだんよりちょっとやさしい殊能センセーがそこにいるのだ。近いうち読み返そう、と思った。
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印象的だった話①アフリカのデカさ。メルカトル図法じゃ伝わらない、地球儀で初めてわかる巨大さ②(抜粋)アラブ諸国は悪意に、いや、憎悪に満ちている。平均的な西欧人にはわからない、目の前に印刷物として置かれたとしても信じたくないほどの憎しみだ。わたしたちは、自分自身が持つ悪意を、ありあまるほどの悪意を自覚している。それなのに、中東の悪意は見て見ぬふりをしようとしているのだ。→え…③ボルテール「君の言葉は認めないが、君の発言権は死を賭しても守る」いい言葉ですねこれ!しかし昨今は文化の相違を念頭に置いた「相対主義」が影を落としているとのこと やはり影かこれ④あと印パのどん詰まり感
それと、浅羽先生の新書で触れられていたリベラル問題が、ここでも出てきたのが興味深かった。「人が空腹で何かに怯えているときに、パンと身の安全か、または民主主義の概念か、どちらかを選べと言われたら、選択は難しくない」選択はその人の生活から逃れられないって話。