everyday

愛知県の主婦の日常雑記

公立直前徒然

中3娘が10日に受けてきた新統テスト「公立直前模試」の結果がもう帰って来た。あまりに早くて驚く。この時期一刻も早く結果を送ろうとしてくれる新統に感謝。でもまあ母数が少ないのもあるだろう。受けたのは5千人余り。ちなみに1月の全県模試は受験者約2万8千人だった。

その全県も結果が帰ってきたのは先週だ。規模が大きくて答案が揃うのが遅くなるのだろうか。

この時期の高校受験ナビは面白い。「内申○○なら当日何点とれれば合格ですか?」という質問が乱舞する。トップ校の掲示板でもそうなる。別にトップ校受験者だろうが、精神が幼いのには変わりない。

対して不人気校の掲示板は全然盛り上がらない。もう残酷なくらい差が出る。人気校の掲示板は毎日数件の書き込みでどんどんログが流れていくのに、いわゆる滑り止め校は、ちょっと前の書き込みが数カ月前だったりしてびっくりする。私は東海地方が地元でないのでいろいろ情報収集をしているが、こんなところからもわかるものか、と思う。

f:id:machik:20190221203318j:plain
名鉄神宮前駅跨線橋から。かつて開かずの踏切があったところ

『眠る村』

 『眠る村』観て来ました。中3娘に「こわいからいやだ」って逃げられたので一人で。ちぇっ。

f:id:machik:20190215195354j:plain

 名張毒ぶどう酒事件。あまりにも有名な、冤罪を疑われている事件。犯人とされた奥西勝元死刑囚は、何度も再審請求を拒まれながら89歳で無念の獄死。この映画は事件から57年経った昨年、制作されたドキュメンタリー映画です。

https://youtu.be/qlZEBE7dfvM

 山奥の村で何があったのか。カメラはひたすら人々の話を追う。娘を亡くした人、姉を亡くした人…当事者は皆年寄りで、その語りの中で「奥西の逮捕はおかしい」と言うのは、村から少し離れた立場の人だけ。
 奥西が逮捕されてから、村人達が一斉に奥西に不利になるよう証言を変えたという。何故変えたのか。マイクは追求するが村人は「もう覚えとらんねえ」と語るばかり。

 「あと五年、十年するとあの事件を覚えている者は誰もいなくなる」
 「もう終わりにしたいんだ」

 「この集落から、誰か一人はお縄をつけて出さなきゃならなかった」

 村自体も限界集落に近い。
 何もかもなくなろうとしている。

 奥西は本当に冤罪だったのか、映画は追求しない。
 ただ眠る村を映し出すだけなんです。


 本多俊之の眠るような、不気味なサックス・ソロが素晴らしかったです!! 

久保田竜子「英語教育幻想」感想

 英語教育に長く携わってきた研究者である筆者が、その中で見受けられる多くの「幻想」を、知見からぶった切っていく本です。

英語教育幻想 (ちくま新書)

英語教育幻想 (ちくま新書)

幻想1 アメリカ・イギリス英語こそが正統な英語である→世界英語では中心円=米英・カナダなどの人々は6%に過ぎない。多数派は正統でないと言えない。ただ評価・評定の基準をどうするかという問題はあり得る。

2 ことばはネイティブスピーカーから学ぶのが一番だ→ネイティブの定義の不明瞭、アジア系カナダ人が自分をネイティブと認識していても他人からは非ネイティブと認識される現状。ネイティブ偏重の雇用状況。一方非ネイティブの優位性もある。英語をいかに非英語圏の人間に教えるか、をよくわかっているからだ。

3 英語のネイティブスピーカーは白人だ→知識の中のレイシズム。非白人性は、実際どうあろうと、非ネイティブのイメージと重なる。ジャック&ベティが醸し出す「豊かな白人のアメリカ」への憧れ。

4 英語を学ぶことは欧米の社会や文化を学ぶことにつながる→実際は80年代日米同盟強化に伴う米国との関係強化。また、英語は受信時は世界=欧米だが、発信時は世界=世界中と誤認しやすい。「敗戦直後の教科書Jack and Bettyが米国の歴史・習慣・白人中流階級の生活などを美化してアメリカを描いていたように、日本人としての自覚を持って発信する『日本文化』は理想像を飾りつけたものである可能性が高いのです」

5 それぞれの国の文化や言語には独特さがある→英語は論理的、日本語はあいまいという言説は本質主義の助長であり文化の美化。「日本人論」ブームに影響された見方。また書く場合だが、書く能力には英語・母語を超えた構成能力が必要であり、日本人の英語だから非論理的だという主張は正しくない。

6 英語ができれば世界中誰とでも意思疎通できる→有用だが限界がある。商社駐在員の調査では現地語の方が有用であったり、日本語だけでOKだったり。コミュニケーション・ストラテジーを駆使できれば問題ではない。

7 英語力は社会的・経済的成功をもたらす→統計的に有意ではない。財界ひいては英語教育業界が新自由主義に則って個人の資質=英語力があれば成功!と煽っている

8 英語学習は幼少期からできるだけ早く始めた方がよい→たとえばアメリカに移民した場合など、第二言語としてなら幼い方が良い場合も。外国語としてインプット・アウトプット共に少ない場合は早期からの有利さは証明できない

9 英語は英語で学んだ方がよい→教室の大勢の生徒が母語に頼ってしまう場合などは英語オンリーにした方がよい場合もあるが、母語を活用し補助した方が優位であると考える。多様性評価の観点から推奨されるトランスランゲージングにも沿う考え方

10 英語を学習する目的は英語を使うことである→英会話学校を見ると趣味・余暇として通う人が多い。英会話講師に擬似恋愛をしている人もいる。消費としての学びは悪いことではない。実用を超えた情緒的な側面も評価されるべき


 という内容でした。
 英語教育と一口に言いますが、色々な問題を孕んでいるということに気づきました。特にレイシズムの問題と絡まっていることは発見でした。「小さいうちから学ぶと発音が良くなる」世界英語、共通語としての英語が氾濫する中で欧米の発音に阿ってどうするのか。正統な英語って何なのか。ネイティブって白人なのか、実際に英語教師として外国人を採用する場合白人に偏る現状がある、そもそもネイティブって何なのか。英語をバリバリ話す=成功者イメージは財界からの肩入れもあり、レイシズムの裏付けもついています。
 英語を学ぶ意味を落ち着いて考えさせる良書でした。

Bohemian Rhapsodyを観て来ました(今さら)

 今さらながら観て来ました。
 QUEENは母が大好きで、購入したてのVHSでBEST HIT USAからビデオクリップを録画しては繰り返し見ていました。私が10歳くらいの時です。曲はCrazy Little Thing Called LoveとかRadio GAGAとか、ソロ名義のI Was Born to Love Youとか。だから私しっかりと刷り込まれてまして、例えばDEEP PURPLEとZEPPELINだったらどっちが好きとか言う話は出来るけど、QUEENは好きとか嫌いとかじゃなかったりするんです。

 フレディが亡くなった時はほんとに茫然としたものです。数日前にエイズを公表したんですよ確か。でショックを受けているうちにあっと言う間の訃報。何故だか高校で皆とその新聞記事を見ている記憶があります。持っていったのかな。
 翌92年のトリビュートコンサートはVHS買いました。今もあります(見たいけどデッキがなくて見られなくてYoutubeで見てる)その頃は既にHR/HMファンだったから、METALLICAとかガンズとかEXTREMEとか、豪華ラインナップに喜んだものです。

 で映画です。感想は

「音楽スゴい!
 映画としては大味!」

 結局、最初から物語はわかってるんですよね。その理想的な形をつくってくれた、という印象でした。長い年月の物語、やはりダイジェスト的にならざるを得ないです。ただまあ洋画って結構こんなもんじゃね?と私は思いましたが、一緒に見た旦那はダメだったみたい。
 ただフレディの圧倒的な孤独は伝わって来ました。孤独でも力が出るのか、孤独だから力が出るのか。
 いずれハンマーが振り下ろされるから今を生きろ…そんな歌詞だったんですね。勇気が出ました。

 音楽は本当にすごかった。
 今さら言うまでもないがフレディのあの、パワーそのものみたいな、たまに舌っ足らずな歌声が劇場で大音響で聴けて良かった。
 最後Don`t Stop Me Nowで明るく締めるのかと思ったら、The Show Must Go Onに変わったところがキた。反則だと思った。もうやらないかと思ってたら、やっぱりやるか。泣いちゃうじゃないか。畜生。

 英国では新事実が出てない、という理由でこの映画にダメ出しをする人も多かったみたいですが、私はいいんじゃない、と思います。
 虚実取り混ぜ、映画化することで、QUEENは更にトリックスターになった印象があります。現実と虚像の狭間を生きろ。すごいなあ。


The Show Must Go On

The Show Must Go On

  • クイーン
  • ロック
  • ¥250

旧中村遊郭街・旧駅裏

大ナゴヤツアーズに参加して来ました

http://dai-nagoyatours.jp/article/4204.html

旧中村遊郭跡から名駅西まで、リニア再開発でなくなってしまう情景を見ておこう、というツアーです。

f:id:machik:20190121201836j:plain

中村遊郭大正12年開業、全盛期には200m四方の敷地内に2500人の娼妓がひしめき、戦中の衰退を経て、昭和20年から33年の売春防止法まで続きました。

f:id:machik:20190121202212j:plain

現在でも道の形、区画に郭の跡が残りますが、遊郭建築は数件に留まります。べんがらの紅い壁をした「旅館 稲本」がつい最近取り壊されてしまったようで、もっと早く来るんだったとちょっと悔やみました。

f:id:machik:20190121201925j:plain

そこから駅西へ。旧駅裏です。戦後闇市が立ち、治安が悪いと言われ続けた、古い建物が残る雑多な町並みは、いずれ喪われようとしています。

f:id:machik:20190121202306j:plain

名古屋市で最も高齢化率が高く、最も平均所得が低い中村区。私は、都市の寛容そのものであるこういう地区が大好きです。再開発があっても、ここの人に住みやすい街であり続けて欲しいと願います。

山本直樹公開講座@名古屋造形大学 2018,6,7

 2018年6月7日、山本直樹公開講座@名古屋造形大学のレポートです。

 聞き手は舞草つよし氏。『レッド』立ち上げ編集者で、現在名古屋造形大で教えている方だそうです。「マンガとエロス」との演題がついておりますが、時間にして半分以上が質疑応答でした。そんな中で山本氏が最初に掲げたのがこれ


①「フィクションと現実の問題」

 フィクション=ことば・言語→創作、マンガ、小説、演劇、ゲーム、イデオロギー、宗教、スポーツ

 グレイゾーン→ノンフィクション、プロレス、芸人

 現実→ふつーにくらす そしていつか死ぬ

 スポーツもフィクション。勝ち負けもフィクション。現実で負けたから殺されるわけではない。
 笛が鳴ったあと突っ込んでいくのはフィクションではなく暴力(日大問題)

 グレイゾーンの芸人のエピソードトーク。見てて危なそうな綱渡り。

 ふつーにくらすことは「ふつーのくらし」ではない。どこかに「ふつーのくらし」というものがあるわけではない。

 フィクションと現実の混同の例がすごくいっぱいある。日大アメフト、エロマンガの規制問題、連合赤軍。「ふつーにくらして死ぬ」より大事なものがある、のは混同であり原理主義。ふつーにくらすよりことばの方が大事になっちゃう→究極のものは戦争


②質疑応答より、印象深かった話

⚪マンガという作業はめんどくさいから得意技でいかないとつらい。あの偉大な井上雄彦先生だってバスケットと剣道しか描いてないじゃないか
⚪これから先webマンガも原稿料が上がると思う。経費がかからないでやれることはないか、とつくってきたものだから今は安いけど、コストがかからないものなので。新人でも8000円以上出せるんじゃないか(舞草氏)
⚪レッドは結局クレームは来なかった。遺族の方からのを一番おそれていたけれど来なかった。クレームって来ないものなのか、と思った
⚪当事者から話を聞くととても面白い。戦争から帰って来たおじいちゃん、みたいな
⚪アマゾンにくたらしいからあまり買いたくないけど買っちゃうんだよねー
⚪自分を切り取るマンガ描いても元気なのは女性。西原さんとか伊藤理沙とかすごい。男はダメになっちゃう。福満しげゆきとか(→この話を聞いてうちの旦那は「よく読んでるなあ」と言った)
⚪レッドの受賞パーティーをフーターズでやった時に乳児を抱えていた伊藤理沙が「おっぱいのほんとうの使い方を見せてやる!!」と言いながら授乳していた
⚪(描かないようにしているこだわりは?という質問に対して考えて)政治的なものは描かないようにしている。(ここで山本夜羽音と違って!とつけ加えたのが面白かった)それを持ち込んで面白くなるなら描くけどそういうものが思い付かない。面白いものしか描きたくない
⚪うまい話をうまく読まされても「ああ、うまいねー」で終わってしまう。小さくてもいい、新しいものが読みたい。ワケわかんないものが好き。
⚪あらゆる本、マンガ、映画、友達。いろんなものを見なさい。影響を受けるのを恐れちゃダメですよ。いろんなものを吸収した上でたまに出て来るのがオリジナリティというものだと僕は思います
⚪マンガ家になることへの葛藤はなかった。昔レオナルド熊がテレビで「⚪⚪になるにはどうしたらいいですか?」と問われ「ほかの道あきらめちゃえばいいんだよ!」と言ってた。当時20歳くらいだからあっそっかー、って思っちゃった。そういう意味でもいろいろ読みましょう。そういうことばをいろいろ集めてたんじゃないかな、フィクション、嘘っぱちを


③個人的にうれしかった話
 
大田区産業会館というパワーワードが出てきた。氏が大学生当時コミケはここでやっていた。私はオンリーとかで中学の頃よく行ったよ
⚪『演歌なあいつは夜毎不条理な夢を見る』の話が出て来た。レッドを連ドラ化しよう!と嘯く大塚恭司氏が92年に手掛けたテレビドラマ。私にとっては好きなバンドのメンバー(METROFARCEの伊藤ヨタロウ)が出ていたので、視聴はできなかったけど、思い出に残ってるタイトルである。山本氏の『君といつまでも』や、氏の好きな大人計画の音楽をけっこうヨタロウ氏が担当しているので、繋がってるんだろうなあ、と思うと嬉しい。


 以上です。
 山本直樹を読むようになったのはまんま旦那の影響だと思う。旦那は市井のマンガ評論家を標榜し、氏の『のんきな姉さん』を題材にしてガロのマンガ評論新人賞で入選したことがあるのです。(ここ本人のリクエストにより書いております)
 山本作品には冷徹な現実への視線、というものが通底してあると感じていましたが、氏自身が「フィクションに相対する現実」を非常に意識しているということがわかり、なんか納得したのでした。

 サインいただいたよ!(旦那のリクエストでね!)




このタイトルの作品もあったよね

中川運河クルーズ

 5月4日になるが、名古屋市中川運河を通る水上バスに乗って来た。

 称して「クルーズ名古屋」。ささしまライブから出て、ガーデン埠頭など寄りながら金城埠頭まで行く便である。
 船は隅田川なんかのよりずっと小さく、船内観光アナウンスもあまりなく、係員の兄ちゃん達が運転しながらがっはっはと笑っている声だけがやたらに響く。はっきり言ってサービスはあまりなってない。

 ので、自分で楽しみを探す。現在地を、Googleマップ昭文社ポケット地図とを突き合わせで確認しながら、リーフレットに掲載されている見どころを探す(それらを全部案内する船内アナウンスはないのである)。南方貨物線の橋梁跡を見逃したのは心残りだ。

 中川運河はお世辞にも綺麗とは言えない。土っぽく汚れた、流れのない運河は生活に直結していて、今はもう廃れた水運業の跡を見ながら進むのはなかなかに楽しい。産業の変遷を思う。

 パナマ運河と同じ形式の通船門を抜け、湾に出るのがハイライトだった。運河から海である伊勢湾に出るのに二段階の門を設け、水位を合わせてから出るのである。狭い構内で水位が上がるのを待っている間、鴎達が両岸にお行儀良く並んで見守っている。どうして彼らはそんなことするんだろう。不思議。

 海に出たときの解放感は格別。左に新日鉄の工場を見ながら突き進む。名古屋港に設置されてる、南極観測船も今日は同じ高さ。

 金城埠頭に到着、面白いものを見る。電車が船に積まれている!どうやら輸出の準備らしい。遠い異国に行っても頑張ってくれよ。

 埠頭では同行の高2長男と小5次男はレゴランドには目もくれず、そのまま名古屋に出るべくあおなみ線に乗車。(ちなみに鉄道博物館はもう3回くらいは行ってるので今回はスルーしました)

 あおなみ線ではまた楽しみが多く、貨物駅への分岐を探したり、その貨物駅がどうにも見覚えがあると思ったら私が4月に散歩して気になって歩道橋から写真撮ったまさにその場所だということがわかったりして、最前にへばりついて見た甲斐があったのでした。

 初めてささしまライブ駅で降車。JR、近鉄名鉄、新幹線がひっきりなしに見えるなかなかの撮り鉄スポットでした。愛知大学内フードコートのスガキヤでごはん食べよう!…と盛り上がっていたのにGW中で閉まっていて残念。隣のすき家とおにぎり処多治はやってたのになあ。モスバーガーに寄りました。
 
 そうしてゲーセンで翌日の電車でGO!ゼロピタ選手権の練習をしている時に、濱崎さんから連絡をいただいて、特訓へと漕ぎ着ける訳です。

 充実した良い連休でした。

 f:id:machik:20180524153456j:plain